■ 制作ノートより:
本作は、よくある“大人への旅立ち”のジャンルに入る映画だが、ひねりも効いている。この手の話は、性的に未熟な主人公が、恋人さがしの旅に出て、様々な経験をするというのが定石であるが、本作の主人公エリックは、しょっぱなから性的に成熟したティ-ンエイジャーとして登場する。全編を通じて彼は次から次へと恋の駆け引きに立会う。本作の世界観では勿論、“正しい”と“正しくない”の間の境界線は曖昧だ。
本作は、心がバラバラになった移民一家が、移り住んだ国でそれぞれに自分たちの道を模索する姿を描いた“家族の旅立ち”の映画でもある。一家の長である父親が、新しい環境になじめず無気力の罠に落ちていく一方で、母親は再出発をはかろうとする。娘のドリスはひとり立ちを学び、エリック自身は道徳、そして愛と人生について学ぶ。移民を扱ったほかの映画と違って、異文化における苦労やアイデンティティの行方ではなく、愛や、家族、価値観といった普遍的な主題を扱う。また、厳しい社会環境にさらされた移民一家の受身の物語でもない。彼らはもともと経済的に恵まれた街から移り住んできた、都市生活をいとなむ中流家庭だ。従って彼らの悩みは精神的なものであり、新しい環境の中、気晴らしができないことによって悪化する。
本作はシリアスで深遠な意図も含んでいるが、観客を置き去りにしたり、飽きさせたりしない、ユーモラスで自然体のスタイルをも持つ。また軽いコメディ・タッチを加味したり、会話を最低限に抑えることで、地元自主映画にありがちな重たい感じに反発したい気持ちもある。撮影スタイルはほかのコメディ映画と違い、カメラは皮肉まじりの冷ややかな客観性をもって登場人物たちを見つめながら終始距離を保っている。
場面は短いスケッチ風で、かなり現実的だ。気持ちの積み重ねやドラマ的な盛り上がりをあまり強調しないところも、通常の映画と異なる。映画のクライマックスに向けて各場面が収束してゆくこともなく、ためになりそうな真理を披露することもない。
むしろ、全編はいきなり拍子の変わる、とりとめのないスタッカートのリズムで進行する。自然主義的な感じを出すために、あえて出来事の起こっている最中から始まるシーンが多い。各部分はリアルな感情を伝え、登場人物同士の人間関係を物語る、切れのいい巧みなカット割りで構成されている。
自然主義に重点をおいたことで従来の青春映画、恋愛映画とは一味違ったものになっているはずだ。現代の若者たちの生活背景の一部…セックス、ドラッグ、ホモフォビアなどの粉飾ない描写もある。感傷は全くないかわりに、乾いた冷笑的な客観がある。